卒業生の声
目次
入試を制する圧倒的な長文読解力
リンガで僕が体験したのは,帰国子女が英語を身に付ける年月を,効率良く圧縮した過程だった.ものを見て,身体を動かして,声を出す.それを徹底的に日本語抜きでやるから,問答無用に英語脳がつくられる.受験に向かないただの英会話ではない.メソッドの裏には,僕たちが知らないうちに英語の骨組みを肌に染み付かせる周到な計算があった.
ただし,あくまで「知らないうちに」である.語彙は暗記するのではなく吸収され,文法は意識的に学習しなくとも後ろからついてきた.もちろん,本を読むときや入試問題を解くときにも,特にその辺りを意識することはない.英和辞典や文法書がなくとも,英語が英語のまま,おそらく英語圏の人がすると同じように理解でき,使えるからだ.また,英語を英語のまま学んで,日本語への変換の際に損なわれる小説などの表現のニュアンスにまで触れることができるようになり,英語が大好きになった.
アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』の原書を毎夜一時まで読み,好奇心を噛み殺して泣く泣くしおりをはさんだ高三の十二月を思い出す.いわゆる受験英語が出発点かつ目標におく,英語と日本語を対応させる力を,英語力と呼ぶ気はしなくなる .
いったいどれだけのアドバンテージを,リンガの方法論からもらったか分からない.読み,書き,聞き,話す.これらの行為と脳とのあいだの日本語という交通障害を取っ払うだけで,なんてスムーズに簡単に正確に楽しく英語が使えることか.自由自在である.そして,東大の英語入試が求めているのも,まさにそういう力,つまり本物の,あるいは当たり前の,英語力であったと今は確信している.また当然,僕は一度も単語帳を使ったことがない.必要がなかったし,リンガで身に付けたスタイルではないからだ.
こうして芯から英語を理解したとき,全くの外の視点から,今まで自分が使っていた日本語を相対化することもできる.語学の楽しさを実感した.加えて,机にかじりついて一生懸命手を動かす以外の勉強の仕方があると知り,学習というものに対する視野が広がった.そして東大に入ってみて,昔の自分の狭い視野ではとてもやっていけなかっただろうとつくづく思う今日である.周囲の東大生の学習のあり方も,教官が想定している学習のあり方も,もっとずっと柔軟なものだ.さらに,大学では英語以外の授業でも当たり前のように英文の資料が使われる.外国人の教授がゲストとして講義をすることもある.高校の頃とはケタ違いの量の英語の中で,構文だの単語だのといって和訳に時間をとられていたら,などとは想像もしたくない.
リンガのメソッドは,東大の英語入試を笑いが出るほど易しいと思わせてくれただけでなく,その後の大学生活にも通じる本物の英語力を与えてくれた.そして何より,楽しくて苦にならなかった.これをおいて他に何を,理想的な英語学習と呼べるだろうか.
私の中に今も生きるGDM
高校を卒業して約10年.GDM で身につけた感覚は今も私の中で生きていると実感しながら過ごす日々である.
大学は,第一志望 SFCに現役合格.部活や委員会を思い切り楽しみ,勉強を始めたのは高3秋であったが「私大最難関の英語超長文」も苦にはならなかった.大学では交換留学でアメリカへ.約1年間,現地の学生と同じ授業を受けた.ひとつの授業につき,毎回リーディングアサインメントが50ページ以上課される.全文和訳なんてしていたら,とてもじゃないがフォローできなかっただろう.帰国後受けたTOEICは990点,満点.気を良くした私は,中3の時1点足らずで準1級に落ちて以来二度と受けまいと誓っていた英検にも挑戦,1級合格.なんと,今度は,一次試験合格最低点ジャストであったが…
今は新入社員.法人営業の傍ら,国際事業リーダー候補生として,社内の経営塾に合格.若手から役員まで混じるクラスで,経営課題や国際戦略を英語でプレゼンしている.
帰国子女ではないし,我ながら真面目に勉強したことがないという弱点もある.その私が “英語なら大屋さん”の立場を獲得できたのは,身につけた語学センスの賜物.「英単語を日本語訳で覚える」勉強をせず「知らない単語は文脈で予測する」ことを学んだからだ.一文いちぶん和訳はしない.英語のまま大意を把握,求められる解を出すために必要な文章を見極め,そこを読み解くことに注力する,「テストで点数を取るためだけの姑息な英語知識」は詰め込まず,「伝えるため,使うための英語力」に集中したのだ.大学合格を期に英語と縁の切れる人も多いが,寧ろ本当の学習は大学がスタートであり,英語はその「ツール」でしかないのだ.
GDM学習の日々を思い返すと,中1にして驚くべき論理性を以って英語の本質を理解していたものだ.長文の大意把握,未知の単語の意味予測,実際に声に出しての仮説検証.数学アレルギーの私が論理的な地頭力を評価されるのは,この語学習得プロセスから来たのではないかとすら思っている.でも特別な子供じゃないと受けられない授業では決してない.母国語習得のプロセスを中学生レベルに効率化しているだけだから,LINGUAに必要とされるのは,好奇心と頭を真っ白にできる素直さ,自分の意見を口にできる勇気.それくらいだ.
大学合格をゴール地点に設定したくない人は,私のように,GDM との出会いが一生を変えるかも知れない.
本物の英語力がつく授業
2月26日,東大入試2日目.最後の科目が終わり,会場は重たいムードに包まれていました.英語が予想以上に難しかったのです.昨年より英文の量が増え,時間内に終わらなかった人も多数いたようです.しかし会場の雰囲気とは裏腹に,私は「やった!」と思っていました.
実は1日め,私は数学で失敗し,2日目のでき次第という感じでした.しかし英語は8割とれた自信があり,これで合格を確信しました.私が東京大学に合格することができたのは,英語のお陰だといって過言ではありません.その英語力を培うことができたのは中1からGDMによる授業を受けてきたからだと思うのです.
LINGUAでは英語だけで授業を進めます.普通の学校や塾ではまず文型を覚え,次に和訳や和文英訳をするなど,日本語を使って考えますが,それでは英語を読むときに常に日本語を使って考えることになり,どうしても読むのが遅くなります.また,それではリスニングに対応できません.私たちが本を読むとき,わからない単語をいちいち辞書で引きはしません.前後の文から意味が分かる,それを繰り返すうちに次第に覚えていったはずです.英語も同じです.英語を英語で考える.当たり前のようでいて殆どの学校や塾ができていない事,それをやってくれるのがLINGUAです.本当の英語の力とは文型がわかったり和訳が完璧にできることではないはずです.LINGUAではそれより先に,速読,リスニング,スピーキングといった社会で必要になる英語の力を身につけます.
もちろん学年が上がるにつれて文法や和訳の練習もやりますが,比重は大きくありません.それで入試対策は十分です.私は中3でTOEIC785点,高2で英検準1級を取得しました.全てはオールイングリッシュの授業でつけた実力だと思っています.